Diary

丘の上でゴンと。

空き時間ができると、というか空き時間を作って現場で飼われてる雑種犬のゴンと散歩する。
その現場の施設から少し離れた丘の上に立つ風力発電の風車の下まで緩い坂を二人でゆっくり歩く。
ゴンはけっこうデカい老犬で足元はもうヨロついており、目もあまり見えてない。
でも耳だけはいいと見えて遠くから名前を呼んだだけでオヤツと散歩をねだるかわいいやつだった。
死んだのは先月だそうで、朝来た職員の方が見たときはもう冷たくなってたそうだ。
その職員の方は東南アジアからの研修生だったがひどく悲しんでおられた。
みんなから愛されていたゴン。
またいつかどこかの美しい丘を風に吹かれてゆっくりゆっくり散歩しよう。

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猫の顔のようなガ

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昨日和歌山でみつけたイボタガ。フクロウの模様と説明書きされているが、
フクロウというより猫の顔っぽい。

地元の人に聞くと『こんなんそこらじゅうにおるで』とのこと。

和歌山最高!

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タイムスリップ

新大阪の事務所近くの銀水湯という銭湯に行った。木の札が鍵になってる下駄箱、小学生の頃の身体測定で使った体重計、番台、アイスクリームの冷蔵庫。。昭和そのままの銭湯で、30年ほどタイムスリップした錯覚を覚えるほどだ。ただ、設置されていたテレビだけが、薄型のデジタルテレビだった。
そのテレビでボクシングが流れていた。金メダリストの村田選手の試合。思わず見入る。余裕の判定勝利。昭和レトロの空間に日本一爽やかな村田選手の笑顔が鮮明に映し出される。
続いて放映される井上尚弥選手の試合は事務所で見ようと銭湯を出て事務所に向かい、今、事務所の30年前のブラウン管テレビで応援している。。。
し、し、し、昭和万歳。。。

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スプレーアート

最近の雨続きで、今日の締め切りに間に合わすように作業に勤しむ若者たち。
泉佐野の漁港の壁面にブラジル人アーティストを含む10人ほどのアーティストたちが下書きもなしにドイツ製のラッカースプレーで見事な絵を描いていきます。
お見事です。

写真

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3G

家内のお下がりのiPhone3g。
反応が遅く音量ボタンも壊れてしまっている。でもまだ使えるので、壊れるまでは使おうと思い使い続けていた。
先日、そのiPhoneがついに壊れた。充電しても1時間ほどで電池が空っぽになる。
「ついにiPhone5デビューかっ!」
もう、なんか、嬉しくてたまりません。一応SoftBankさんにこんな症状なんですわと持って行った。
ピンセットのようなものでゴソゴソ電源差し込み部分をいじる窓口の店員さん。
暫くすると小さなガムの銀紙の包み紙の切れ端を取り出し、
「これが原因ですね。もう大丈夫やと思いますよ」

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森之宮にて

サイレンを鳴らしたパトカーが目の前で止まった。
パチンコ店に入る警官。
中からでてきたのは、下駄に作務衣、中折れ帽の初老のおじさん。
せっかくラッキーかかったのに店員にストップさせられ、頭にきて暴れたらしい。
パチンコはやらないのでよくわからないが、此花区の放火事件もこんなきっかけだったためだろうか、警官が必死でなだめている。

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100円ショップにて

昨日、岸和田の100円ショップに柄杓を買いに行った。かなり大きなお店で目当ての柄杓が見当たらない。忙しそうに働く店員さんを見つけ、
「すみません。お墓にお水かけるようなひしゃ…」
まで言いかけるとその50代と思しき店員さんがかぶせてきた。
「ああ、ジョウロですね。」
いやいやいやいや。。お墓育ててないし。。。
お店でるまで、何回もお墓にジョウロで水かけてる姿想像してわろてしまいました。

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診察

去年から高血圧の薬を処方されている。当初は毎日きまった時刻に携帯のアラームをセットし、パブロフの犬か薬物中毒者のように欠かすことなく飲んでいた。
しかし半年もたつと、高血圧に対する恐怖感もうすれ、毎日のアラームもただ無意識に消すだけのものとなった。
ついさっき二ヶ月に一度医師の診察を受けた。二ヶ月分強の薬が残っていることを告げると、担当医がカツオにテストを返す先生のような目をして言いました。
「次回は薬が無くなったらきてください。」
そらそうですわな。。
心入れ替え、毎日のアラーム音も今の羊のショーンからもっと薬を飲むのを忘れにくい曲に変えて見ることにしよう。
長渕剛にしようか、ジョー山中もいいかも、ホイットニーヒューストンもいいし、のりピーの蒼いうさぎにしようか、ジャニスジョップリンなんかもかっこいいけど、やっぱり中村雅俊の恋人も濡れる街角にしようか。
あ、中村さんは息子さんか。。

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たまに行く堺の商店街の中に家族でやってる中華料理屋さんがある。何年か前にそこの大将と立ち話したことがあった。可愛がってる白い小型犬の話を孫の自慢話をするかの様に嬉しそうに話してたのをよく覚えている。
その大将とさっきばったり会った。何か元気がなさそうで、聞けば17年飼った犬が先日死んだとのこと。今は毎日その犬の遺影に手を合わせて在りし日を偲んでるとのこと。
僕は子供のころ、泉州の山手で育ったので犬は飼い犬であれ野良犬であれ、周りに当たり前のように沢山いた。当然、沢山の犬の死にも遭遇した。まだ今ほど豊かで無い農村部のこと、うちで飼ってた犬なんて病気になっても病院に連れていくなんてことはまずなかった。あまりに苦しそうな犬を見ていても立ってもいられず親父に電話して病院に連れて行ってもいいかと尋ねたことがあった。「犬みたいなもんほっとけ!!ガチャ」
そんなうちの親父も今や一昨年死んだ飼い犬の遺影に日々線香を立てる。
豊かになった日本。
戦後著しく地位向上を果たした犬達。今や、残飯の報酬の為に寒風吹きすさぶ中、鎖で繋がれたまま番犬としての任務を果たすことはもはや無い。
今や彼らの任務はもっと重要な「豊かな心」を人に与えるということに変わった。報酬は残飯などでなく、医療、バランスの取れた食事、散髪、旅行などの福利厚生まで完備された北欧も真っ青の高度福祉社会。
今の社会は犬から学ぶべきところがあるかもしれない????