2012年6月21日

たまに行く堺の商店街の中に家族でやってる中華料理屋さんがある。何年か前にそこの大将と立ち話したことがあった。可愛がってる白い小型犬の話を孫の自慢話をするかの様に嬉しそうに話してたのをよく覚えている。
その大将とさっきばったり会った。何か元気がなさそうで、聞けば17年飼った犬が先日死んだとのこと。今は毎日その犬の遺影に手を合わせて在りし日を偲んでるとのこと。
僕は子供のころ、泉州の山手で育ったので犬は飼い犬であれ野良犬であれ、周りに当たり前のように沢山いた。当然、沢山の犬の死にも遭遇した。まだ今ほど豊かで無い農村部のこと、うちで飼ってた犬なんて病気になっても病院に連れていくなんてことはまずなかった。あまりに苦しそうな犬を見ていても立ってもいられず親父に電話して病院に連れて行ってもいいかと尋ねたことがあった。「犬みたいなもんほっとけ!!ガチャ」
そんなうちの親父も今や一昨年死んだ飼い犬の遺影に日々線香を立てる。
豊かになった日本。
戦後著しく地位向上を果たした犬達。今や、残飯の報酬の為に寒風吹きすさぶ中、鎖で繋がれたまま番犬としての任務を果たすことはもはや無い。
今や彼らの任務はもっと重要な「豊かな心」を人に与えるということに変わった。報酬は残飯などでなく、医療、バランスの取れた食事、散髪、旅行などの福利厚生まで完備された北欧も真っ青の高度福祉社会。
今の社会は犬から学ぶべきところがあるかもしれない????